それは突然2年前に始まった。

が、ここでちょっと時間を巻き戻す。

あかおにがかつて通った高校は偶然にも多くの選手や関係者を輩出するラグビーでは名の知られた学校なのだが、在学中ラグビーはあかおにの興味の対象ではなかった。

というより、どちらかというとあまり関わりたくない部類のものだったかもしれない。クラスにも数人ラグビー部員がいたのだが、席が近いと床は砂でざらざらするし、大荷物が通路にはみ出すし、早弁はする、居眠りはするで、正直ちょっとめーわくな人々だと思っていた。

当時部長だった体育の教師は、まさに鬼のような顔つきで、その言動には部員でなくとも恐れをなす、といったところ。だが、この人がびしびし鍛え上げたのが功を奏したのか、あかおにが3年生の年にラグビー部は初の花園行きを果たすのだった。ま、これもすべて後から同級生が思い出させてくれたことなのだが。

それから長い長ーい間、あかおにの人生からラグビーは影をひそめていた。2015年のワールドカップで日本が南アに勝利し、あちこちでその快挙が盛んに伝えられ、フルバックの選手のポーズが巷にあふれていた時も、テレビを持たないあかおにはぬるい反応でそのフィーバーの横を素通りしていた。

ところが、である。2年前に勤務していた会社にラグビー部があった関係で、一般より早くラグビーワールドカップ2019年大会(RWC 2019)のチケット抽選の申し込みができると分かった。その時、何かがクリックした。ラグビーの神様が降臨したのだろうか。あかおには突然、観に行ってみたい!という思いに駆られたのだ。

ラグビールールの知識もゼロ、選手の名前もチームランキングも、とにかくすべていおいて無知なあかおにだったが、ニュージーランドが強いこと、ハカが見られることだけは知っていた。会場と座席によって値段の格差が激しく、どの試合をどの席で観戦すべきか大いに迷った結果、当時何とか週末に行くことができ、初心者のお試しとしてはお財布にもあまり響かない、ということで、ニュージーランド対ナミビア戦のカテゴリーCの席を選ぶことにした。

時は流れ、約1年半後の当日。友人の中に試合会場に行ってまで観たい!という熱烈なファンがいないこともあり、詰め込んだばかりで消化不良気味の基礎知識だけを頼りに、あかおにはたった一人で会場の最寄駅に降り立った。開始まで悠に3時間はあっただろうか。それなのに駅の改札口も駅前のファンゾーンもかなりごった返している。海外のラグビーファンはビールを大量に消費すると聞いていたが、噂に違わずそこここで出来上がったファンたちが楽しそうに歌を歌ったり、大声を出してふざけあったりしている。

駅から続く人の流れの後ろにくっつき会場に到着してみると、まだ座席は半分も埋まっていない。座席指定だから観戦慣れした人たちはもっとゆっくりやって来るのだろう。あかおには一旦着席してしばらく周りの様子を眺めてみる。手持ち無沙汰で落ち着かない。席を離れて売店で飲み物を買ってみたり、スマホをいじったり、立ったり座ったりを繰り返しているうちに、徐々に客席が埋まってゆく。時間をおいてお昼ご飯のおにぎりをほおばる。

しばらくして、ピッチの一角で地元の伝統芸能であるお囃子が披露されるとアナウンスが入る。和楽器の演奏に合わせて大人から子供までが軽快な舞で楽しませてくれる。あかおにの席は片側のゴールポストに近いかなり上の方にあり、肉眼ではあまりよく見えない位置だったが、持っていたオペラグラスを通して舞う人たちの色鮮やかな装束やコミカルな動きは確認できた。

そのうちに選手が練習を始めた。あかおに側のグラウンドではニュージーランドの選手が柔軟運動やボールを使ったウォームアップをしている。選手の顔も名前もよく分からないのにワクワクしてつい何枚も写真や動画を撮ってしまう。

周りの席も徐々に埋まってきた。一席置いてあかおにの左側にはかなり熱心なファンと思われる青年とその連れらしき男性が座った。どちらも黒いシャツを着ている。しばらくして2列ほど後ろの左側に英語を話す人が数人陣取った。そのうちの一人の女性が大きな声で興奮気味にしゃべっている。連れの男性や近くの人との会話から、筋金入りのオールブラックスファンだと分かる。時間をおいてさりげなく振り返ってみると、マオリの血を引く人のように見受けられた。

ピッチレベルに近い正面席の一角にはナミビア応援団が陣取っていて、歌声や歓声が聞こえ、踊っている人もいる。グラウンド内の練習も本格的な試合準備に変わり、ビートの効いた音楽にのせてMCの声が会場を盛り上げる。客席はますます活気を帯びて来る。

両チームの選手紹介が始まると、会場全体が大きくどよめいた。選手の名前が呼ばれスクリーンに顔が映し出されるたびに歓声のような雄叫びのような声が上がり、拍手が響く。左側の青年は完全な興奮状態で、選手の名前を叫んだり、指笛を吹いたり、隣の連れにのべつ幕なしに話しかけていて、忙しいこと。うるさいのだが、その歯止めの効かない興奮ぶりに思わず苦笑してしまった。

そしてついにRWC 2019でお馴染みになった和太鼓の音に続き選手が入場してきた。全員が整列し、国歌斉唱との声がかかると、観客たちも立ち上がり歌詞の分かる人は一緒になって大声で歌う。あかおには歌詞カードも持たずに来てしまったので、神妙に立ちつくしていたが、左側の青年やその後方のファンたちは声を張り上げて大合唱だ。

国歌斉唱が終わり着席する。会場のざわめきは期待感でどんどん大きくなる。ハカの時が来たのだ。オールブラックスのフォーメーションが整い、最初の一声が発せられるとスタジアム全体を包み込むようなどよめきが湧き上がる。ナミビア戦に選ばれたのはカマテだ。

ハカが終わり拍手が鳴り止んだ。MCがカウントダウンの開始を告げる。大型スクリーンに数字が映し出され、カウントダウンする観客の声で、再び会場が興奮の渦に包まれる。

10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロのカウントと同時に笛が鳴る。

キックオフだ!

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