小さい頃からワガママだ、自己中心的だ、と言われて来た。好き嫌いがハッキリしていて自己主張も反発もシッカリしたし、協調性も乏しかったので、そう言われてしまったのだと思う。
大人になった今も本質は変わらない。集団生活が苦手で、これがここでの常識だから、的な考えを押し付ける人や、干渉したがる人には嫌悪感を隠せない。納得できないと上司や目上の人にも物申さずにいられない。
だが、最近はぶつかったりギクシャクする前に、いくつかの回避策を講じられるようになった。
危ない気配がある人からはできるだけ遠ざかる。状況的に避けられない相手の場合、無礼にならないように挨拶ぐらいはするが、そこから距離を縮めない。察しの良い人とならこの段階で大事なく道を分かつことができる。
あかおには追い込まれると激しく反撃するが、そこまでは至って平和主義者だ。お互いに気持ちよく生きて行けるよう、上手に住み分けましょう、というスタンスなのだ。
悪く思われることもあって、新しい環境に移った時など特に、孤立して居心地が悪い期間がしばらく続いたりもする。だが、それを我慢していると、そのうち「あかおにってそういう奴だから」と許容してもらえるようになる。成功率100%とは言わないが、今のところまあ何とかなっている。
この程度の処世術は誰でも持っているだろうが、かつて人間関係が人生の最大の重荷で、知る人のいない南の島への移住を切望していたあかおにには、これは画期的なことだ。
あかおには小学校低学年の頃から、この世に自分を理解し、受け入れてくれる人はいないだろう、と思っていた。親にもあまり期待はしていなかった。
大人になってからも、ずっと生きにくいと感じていた。何をどうしたらもっと上手く人と関われるのか。一体何が問題なのか。それほど興味もない人間関係に時間やエネルギーを吸い取られるのが、嫌で仕方なかった。
だが、ある日あるものに出遭って、目からウロコが落ちた。
Myers-Briggs-Type-Indicatorがそれで、世に存在する人格を16の型に分類したものだ。最近では日本語に訳された情報もたくさん出回っているようで、MBTI®️としてウィキペディアなどでも取り上げられている。
あかおにはINTPというタイプだ。集団の中での振る舞いや社会性に関しては少々難あり、だそう。人口に占める割合は少ないという。よって、周りに同じような人がいる確率も低く、理解もされにくく、異端児と見られる、というのがあかおにの解釈だ。
INTPの人格描写は概ね該当していて、苦笑いしつつ、大きく頷いた。そして、とってもスッキリしちゃったのである。悪足掻きしても仕方ないな、って。
面倒な性格も、人間関係が上手く行かない傾向も、生来のものなら簡単には消えてなくならない。だったら、自分も他人も何とか共存できる中間点を目指そう。できないことを嘆くより、できることを増やして不足分を補い、あかおにはあかおにらしく生きればいい。
このMBTI®️でもう1つ有益だったのは、世の中の残りの15の人格も大まかに掴めたこと。もちろん、さまざまな文化、環境、影響の下で生まれ育った人間をキッチリと16種類に分けるなんてのは無理な話なのだが、内気か外向的か、直感型か実践型か、理論が勝つか感情が優勢か、様子を見るのか自分の持っている基準でサッサと判断を下してしまうのか、という目安のようなものが設けられていて、これをベースに観察すると、周りの人の傾向が何となく見えてくる。
これらのパターンを念頭に置いて人と接するようになって、あかおに個人は多少なりとも生きやすくなった。地雷を踏まないように、考えが伝わりやすいように、相手によってアプローチを変える、といった小細工ができるようになったからだ。
一度だけ同じ匂いのする人がそこかしこにいる職場に恵まれた。そこは、業界の常識を覆すものを作るため何年も試行錯誤を続けている技術系の研究開発組織だった。オタクの中のオタクの集まりと言っても良い。
彼らの中にはあかおに以上に世渡りが下手そうで、これまでの人生、楽じゃなかっただろうな、と思わせる人がかなりいた。たとえば、女性が部屋に入ると目を合わせないために壁と向き合ったままになる人、常に駆け足の人、素人相手に難解な技術や理論について何時間も熱く語ってしまう人、など。
しかし、彼らの頭脳と知識はピカイチだった。あかおになど生まれてこの方一度も聞いたことのない用語が日々飛び交っていた。会話の中身が高度かつ専門的過ぎて、あかおにの通訳は幾度となく迷走した。悪戦苦闘が続き、自分がそこにいて本当に役立っているのだろうかと悩むことも多かった。
だが、好奇心の強いあかおににとって、そこはこれまでにない幸せな場所だった。前回の失敗を繰り返すまいと、次回会議に備えて凡人にも分かるように説明をしてくれろ、と迫るあかおにに、普段はちょっと取っつきにくい人でも、難しい話を噛み砕いて説明する努力をしてくれた。
先駆的な技術を生み出すことに心血を注ぐ、変わり者だが心優しい人たちに囲まれて過ごす時間は、本当にワクワクする楽しいものだった。そして、彼らが考えに考え、もがいて、苦しんで、ついに世に送り出した革新的な製品は今、世界をあっと言わせている。
人にはそれぞれ、得手不得手や向き不向きがあるものだが、自分を知り、人を知れば、渡りにくい世の中も多少泳ぎやすくなるのではないかと思う。
もし今自分を理解してくれる人がいないと感じていても、世の中には必ずどこかに相通じる人がいる。だが、それはなかなか巡って来ない出会いかもしれない。
あかおには、そんな稀な機会を得たのだと思っている。自分にも同族と呼べそうな人たちが結構いたのだ。常にそういう人たちに囲まれてはいなくても、あかおにはひとりぼっちではない。
人付き合いは未だに苦手でストレスも溜まる。これからもきっと相当なエネルギーが人間関係に奪われることだろう。でも、もがき続けたその先にはきっとまた楽しい世界が開けるとあかおには信じている。