あかおにが大学受験を目指していた頃、フランコの長年の独裁から解放されて間もないスペインは、まだヨーロッパの後進国だった。
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あかおには小学生の時に海外に出ると心に決めていた。自分のいる環境に閉塞感を抱いたのも理由だったが、外の世界への憧れをさらに焚き付けたのが、当時NHKが放送していた「名曲アルバム」だった。
この5分間の番組では、クラシック曲や民謡などに合わせ、その曲や作曲者、土地にまつわるエピソードが画面下のテキストで伝えられ、ゆかりのある風景や街並みなどの画像が流れた。
名曲アルバムの最初の記憶は「アルハンブラの思い出」だ。憂いのあるギターの音色とともに、グラナダの歴史が紹介され、街、アルハンブラ宮殿、演奏するギタリストなどが映し出されていた、と思う。映像の印象は全体的に薄暗く、濃い飴色。
かなり地味な始まりだったが、あかおにはそこからヨーロッパを意識するようになる。
ヨーロッパからは有名な作曲家が数多く輩出されているが、中でも特に多いのはドイツ語圏ではないだろうか。バッハ、モーツァルト、ブラームス、ベートーベン、シューベルト、ワーグナー、マーラーなど、いくらでも名前が挙がる。
自ずと名曲アルバムでの登場回数も多くなり、ドイツやオーストリアの風景は頻繁に目に入った。石畳の道、教会や歴史的建造物、綺麗に手入れされ人々が集う公園、針葉樹の深い緑に囲まれ窓辺に花が飾られた白壁と木枠の家々。
フランスや北欧諸国、チェコ、ポーランド、ハンガリーなども似通った雰囲気だったが、ドイツ語圏は整然としていて、特に小綺麗な感じがした。
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さて、改めて大学受験の話だが、英語以外のヨーロッパ言語でご飯を食べて行こうと企んでいたあかおには、選択に迷っていた。フランスやイタリアにはさほど興味がない。気持ちの上ではスペイン語を選びたいが、スペイン経済はまだ回復途上で、スペイン語圏の南米諸国では内戦や革命が勃発し、政情不安定な状態が続いている。
一方、ドイツ語が使われる国は少ないが、当時の西ドイツは一国でも経済力は十分で、社会システムは整備されていた。子供の頃に名曲アルバムで見た画像からも、危険や貧困、カオスといったものはまるで感じられず、候補地としては十分に思えた。
日本を出たらもう戻るまい、ぐらいの意気込みだったあかおには、確実に自立ができそうな道を取りたかった。心の琴線に触れたのは悲哀を帯びたスペインのギター曲だったが、全てが整然としていて、安定が保証されていそうなドイツ語圏の生活には抗えない魅力があった。
ドイツは地理的にヨーロッパの真ん中にあり、一度渡ってしまえばどこにでも行きやすそうだ。ビザだの国境だの細かいところは別として、乗り込めば自由に動き回れるだろう、という打算もあった。
そして、最終的に、あかおにはドイツ語を学ぶと決めた。スペインへの想いに後ろ髪を引かれつつも。
この選択が間違っていたとは思わない。ただ、あかおにの気付かぬところで、世の流れは変わり始めていた。
スペインはその後盛り返し、ヨーロッパの中でも中堅ぐらいの地位まで経済的に復活し、南米の政情もある程度安定した。
一方、医療や技術分野でもドイツ語が英語に取って代わられる時代はそこまで来ていた。あかおにが大学を卒業する頃にはドイツ企業の日本法人でももうドイツ語は必要ない、と言われる始末だった。
なんとも皮肉な展開だが、致し方ない。現実派のあかおには、言ってみれば、愛していた貧乏な恋人を捨てて、経済力のある金持ちと結婚すると決めたのだから。
あの時の選択を後悔はしていないが、もう少し時代が違ったら、あかおにがもっと長期的展望を持っていたら、あるいはロマンを重視するタイプだったら、どんな人生が待っていただろう、と思いを巡らせることはある。
ま、結局のところ、選択と決断とを繰り返し、成功したり失敗したりするのが人生な訳で、偶然に見える出来事や展開も実は必然だった、ということかも知れないとは思っている。
人生は面白くも悩ましい。
当面は、スペイン愛を心に秘めつつ、もう一度ヨーロッパに渡る夢を見ながら、現実を生きることにしようと思う。