今年に入って、秩父宮と熊谷でトップリーグの試合をそれぞれ2戦ずつ、さらに秩父宮でトンプソン・ルークの引退試合を観た。ほんとうはそれに加えてスーパーラグビーのサンウルブズ対クルセーダーズ戦とトップリーグの試合を4戦観に行くはずだったが、残念ながら叶わぬ夢となってしまった。
それでも、あかおにのラグビー熱は冷めない。楽しみにしていた試合が中止になってしまい、かえって勉強熱心になった気さえする。
去年のワールドカップ(RWC 2019)以降もライブ配信やオンデマンド視聴で国内外のラグビーの試合を観ている。RWC 2019、トップリーグ、スーパーラグビー、ブリティッシュ&アイリッシュライオンズ、イギリスの大学対抗ラグビー、日本の高校ラグビーなど、これまでに観た試合数はすでに50を超えた。
おかげで近頃は基本的なルールやよくあるペナルティなら少しは分かるようになってきた。放送ではいろいろな角度から見た映像にのせて実況者や解説者が状況を詳しく説明してくれるし、時にはレフェリーの声が耳に入るので、会場で観戦する以上に理解が深まることもある。
とはいえ、トライ寸前のもみくちゃ団子状態でのオフサイドや、キック落下後のごちゃっとした場面で起きたノック・オンや危険なタックルなどは、誰が何をやらかしたかすぐには分からず、プレイバック時の説明を聞いてようやく事情が飲み込める、なんてしょっちゅうだ。分かるルールも用語もまだまだ氷山の一角に過ぎない。
いまでもこの程度なので、RWC 2019のニュージーランド対ナミビア戦では試合の雰囲気と会場の高揚感を味わうのがやっとだった。まあ、自分の座席から見えるものと、観客の声に混じって聞こえるMCの説明と、インターネットから拾い読みした情報だけが頼りなのだから無理もないのだけれど。持っていたオペラグラスも、遠くでスクラムが組まれている時やスローな攻防が続く場面では多少役に立ったが、キックやオフロード・パスによる素早いボールの動きにはついていけなかった。
それでも初観戦はとても楽しかった。
あの日を境に、スポーツはするもんで観るもんじゃない、と思っていたあかおにの考えは180度変わった。以来、好奇心に駆られてラグビーについてあれこれ学習中だが、これがなかなか奥深そう。逆立ちしても自分ではできないので、観ることと深掘りすることぐらいしかオプションはないが、この先何年も何十年も楽しめそうな気がする。
が、あかおには正直スポコンやチームスポーツに興味がない、というよりかなり苦手だ。それなのに熱血チームスポーツであるラグビーに、これほどまでにハマるのはどういうわけか。
わけはいっぱいある。
分かりやすいところでは、チームの構成。体格も特技も違う15人の選手が、それぞれ与えられた役目を責任を持って遂行する。人選を行い、途中交代などの采配を振るうのは監督やコーチだが、選手はそもそも必要な能力を備え、ミッションを遂行できる状態にないと選んでもらえない。まるで少数精鋭の職人集団みたいでかっこいい。
次はラグビーをする人や観る人たち。試合はガチガチの真剣勝負でも、選手も観客も相手チームに対して変な敵対心を持たない。ラグビーワールドカップはお祭りのようなもの、と形容する人もいた。確かにニュージーランド対ナミビア戦もフレンドリーでポジティブな雰囲気だったし、トップリーグの試合でも両チームの応援団が相手チームにエールを送っていて、とても好ましかった。
ルールや試合の進め方も興味深い。つい最近存在を知ったペナルティ・トライは、ディフェンス側の反則がなければアタック側のトライが成立していた、とレフェリーが判断して与えるものとのこと。個々のレフェリーには、たとえばノット・リリース・ザ・ボールの反則を取るのが早い、とか、ディフェンス側の反則を厳しく取る、といった特徴があるらしく、その辺の事情を理解した上で、ぎりぎり反則にならないように攻め、守ること、レフェリーの指示内容をよく聞いて好印象を与えること、上手にコミュニケーションを取ることも大事だとか。スポーツなのに微妙な心理的駆け引きの能力も問われる。オタク心をくすぐられる要素がいっぱいだ。
恋愛に例えるとしたら、付き合い始めて半年経ったところで、相手のことをもっと知りたい、目に付くのはよいことばかり、という時期だ。ラグビーがステキだと思う理由を、あかおにはいくらでも挙げられる。
でも、あかおににはこの先もずっとラグビーと離れたくない別の理由がある。
どの一戦だったか記憶があやふやだが、RWC 2019プール戦の試合後、勝った日本チームが整列して観客の大歓声に応える姿を見ていてふと思った。選手たちは過酷な練習に耐えてこの日を迎え、いまその努力が報われた。でも、敢えてこんなに激しいコンタクトスポーツを選び、出血や、怪我や、脳震盪のリスクを負ってのめり込むのはなぜ?
その頃あかおには仕事の関係で2つの拠点を行き来する忙しい生活を送っていた。週日は職場のある他県で、週末は自宅で過ごす日々だった。好きな技術系分野での仕事は充実していて楽しかったが、プロジェクトが残り約半年となり、その先の仕事や生活について考えることも増えていた。
通翻訳需要は圧倒的に成長産業で高いが、いま景気がいい分野のほとんどにあかおには興味が持てない。人気業界で実績を積めば経済的にもキャリア面でもステップアップできるのだろうが、どうしても足を踏み入れる気になれない。
画面の中の選手たちの表情は輝いて見えた。ボロボロになるまで走り、攻め、守り、仲間のサポートに駆けつけ、勝利を手にした彼らは充実感に溢れ、幸せそうだった。
その時、突然謎が解けた。
当たり前すぎる答えだが、閃いた。
心底ラグビーが好きだから。
好きだから、あんなにいい表情なんだ。ボコボコにされても、満身創痍であっても、あと一歩前に進もうと思えるんだ。ワールドカップで勝利するという目標に向けて、辛い練習にも耐え続けられたんだ。
そう気づいたら、あかおにの迷いにも答えが出た。
あかおにだって、好きなことのためなら全力投球できる。
生活のリズムやレベルが変わってもあかおにさえ納得できればいい。時間もエネルギーも無限にあるわけじゃないし、打算や迷いに振り回されて無駄にしてばかりいられない。
好きなこと、叶えたい夢に照準を合わせて、向かって行くしかない。
桜の戦士たちは強く、勇ましく、清々しかった。彼らの姿勢やプレーからラグビー憲章にもある「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」という価値観がしっかりと伝わった。
でも、あかおにの心に最も響いたのは、彼らが全身全霊をかけられるものを見つけ、大きな勝利をおさめ、最高に幸福そうに見えたことだ。
ラグビーは、ラグビーを愛する人たちを通して、分かれ道で戸惑っていたあかおににも大切なことを思い出させてくれた。
ラグビーの試合を観るたびに、あかおにの気持ちは前向きになる。迷いが出ても、気持ちが沈みがちでも、諦めちゃいかん!と思わせてくれる。
ラグビーのない日々はもう考えられない。