時系列順にならないが、スペインでの勉強に関連して、ここでちょっと脱線を。
バヤドリド大学の夏季スペイン語講習の受講者は、希望すれば無料で週末のバス遠足に参加することができた。集団行動が苦手なあかおにだったが、せっかくの機会だから一度ぐらいは、と思い切って申し込んだ。
なにせひと昔前の話なので詳細は忘れたが、土曜日の朝バヤドリドを出発し、ディズニーロゴのお城のモデルになったという要塞や世界遺産の水道橋のあるセゴビア、城壁の町アビラ(こちらも世界遺産)、途中の小さな村やワイナリーなどを訪れた。
同じ夏季講座に参加しているとは言え、クラスもスペイン語のレベルも年齢も国籍もバラバラの生徒たちが大型バスに乗り、引率の若手講師陣に連れられて、スペインとスペイン語に触れる日帰りの旅。遠足の趣旨はそんなところだが、その内容はまったく堅苦しくない。
セゴビアやアビラでは最初に街の特徴や歴史について説明があるものの、後はほぼ野放し。自由にスペイン語会話を実践してらっしゃい、というわけである。ワイナリーでも同様に、短い紹介の後はワインの試飲をさせてもらい、興味がある人はさらに試飲し、説明を受けて気に入ったワインを買う。
最後に立ち寄った小村は観光とはおよそ無縁そうで、ここに見るべきものでもあるのだろうか?といぶかりたくなる場所だった。そう感じたのはあかおに一人ではない様子だったが、バスを降りて自由行動の時間を与えられると、生徒たちはそれぞれ狭い路地や横道などを歩き回り、陶芸家の工房に入り込んだり、小さな店を覗いてお土産を探したりして楽しげに過ごしていた。
しばらくすると集合の声がかかった。講師たちを先頭に、教会のようにも見える小ぢんまりした石造りの建物に向かって石畳の道を少しばかり上がって行く。これがお目当てだったらしく、全員揃ったところでこれから外階段を使って屋上に登ります、とお達しがあった。低い建物とはいえ暑い夏の午後のこと、汗をかき息切れしつつ階段を登り切り、塔のあるテラス状の屋上にたどり着いた時には、みな一様にほっとした表情に変わる。
歴史に詳しく語りの上手い講師が建物についてひとしきり説明をしてくれが、興味を引かれる要素がほどんどなく、正直なところあかおにはその詳細を忘れてしまった。おぼろげにスペインの歴史上の有名人か出来事と関わっていたことだけは記憶している。
周りを見回してもほとんどの生徒が関心を示していなかった。それでもみな終わりまで我慢強く耳を傾け、最後は時折通り抜ける風に吹かれながら眼下に広がる景色を眺めたり、講師や友達と思い思いに記念写真を撮ったりしてこの日を締めくくっていた。
こうして約半日の遠足を終えバスに乗り込んだ一行は、ほどよい疲れとともに満足して帰路に着いたのだった。
さて、ここに来てようやく本題なのだが、バヤドリドやセゴビア、アビラなどがあるスペインの中央部は乾燥した地域で、一旦活気のある市街地を抜けると、その先にあるのは農家や集落がポツポツと点在する白ちゃけた土地だ。前述の塔のある建物から見下ろしたのもまさにそんな景色で、平べったい土地が砂埃で煙るような天と地の境に向かって伸び、そのあちらこちらに間隔を置いて緑の茂る集落らしきものが散らばっていた。
そして都市や集落をつなぐ道の脇には、ゴツゴツした枝を奇妙な形に伸ばしたオリーブの木と畑が延々と続いている。スペインが世界一の生産国であることを考えれば不思議でもないのだが、一行のバスの車窓からも見えるのも、生き物のように躍動感のある個性的なオリーブの木々とその後ろに広がる畑だった。
西日の射す道をひた走るバスに揺られてほとんどの生徒たちがうとうとする中、あかおにはこの景色に言いようのない懐かしさを感じて、静かに胸を踊らせていた。それはいわゆるデ・ジャ・ヴではない。別れて久しいものを前にして、胸の中からこみ上げて来る再会の喜びとでも言えばいいだろうか。自分はかつてこの土地につながっていた。そんな風に感じていたように思う。
子供の頃から何度も引っ越しを経験していることもあり、あかおにには故郷と呼べるような場所がない。そして転居した先でも割とすんなりと生活に慣れることができ、思い返してもホームシックという感覚は記憶にない。今身を置いている土地や環境に軸があるため、過去に慣れ親しんだ場所や人々が懐かしく恋しくて、切ない思いに駆られるということがない。
しかし、この遠足で感じた再会の喜びを皮切りに、スペインではそれに近い感情を何度か味わった。次の夏再度バヤドリドを訪れた時には去り難さのため乗っていたバスの中でさめざめと泣くことになったし、数年後にコルドバのメスキタで色褪せ表面の崩れ落ちたモスクの内壁を前にした時は、後から後から涙が溢れ出て仕方がなかった。
スペインは以前から憧れの国だった。そしてようやくその地を訪れ、言葉を学び、文化や歴史に触れ、人々の生活を垣間見、彼らの愛すべき個性に触れることができた。あかおにが感じた懐かしさは単にそんな事実から生まれた感情の凝縮で、そこに少しばかり思い込みが加わっただけなのだろうか。
そうかもしれない。でも、そうではないかもしれない。
あかおには魂は何度も生まれ変わると信じている。きっとあかおにの魂はかつてスペインで生きていたのだ。そして他の土地では味わったことのない大きな喜び、切なさ、悲しみなどをしっかりと記憶に焼き付けていたのだ。
あかおにはそう信じている。